気づけなかった今までに後悔するよりも、
気づけた今を大切にして。

―そして今度こそ、傷つけない。



雨に濡れて




公園で見つけた彼は、ベンチに座って虚ろな目で雨の降り続ける曇り空を見つめていた。


何か考え込んでいるようで、何も考えられていないようで、今彼に感じるのは
いつもの優雅さや余裕とはかけ離れた喪失感だけだった。


「ルルーシュ。こんなところで何してるの、傘もささずに」
「…………」


スザクの言葉にも耳を傾けない。

聞こえているのか居ないのかも分からない。


「ルルーシュ」
「…………」


ぽつぽつと、傘を打つ雨の音がいやによく響いて聞こえるように思えた。


雨脚は次第に強くなってゆく。

薄い白のワイシャツと細身のジーンズだけで、上着も何も羽織っていないルルーシュは
既にびしょ濡れだった。

雨水を吸って透けるワイシャツからはルルーシュの白すぎる肌の色が映っている。


「風邪ひくよ、ほら……」


歩み寄って、自分の使っていた傘をルルーシュの上に持って行こうとする。


途端、軽い衝撃が傘を持っていたスザクの手にあたった。
ばしゃんと水たまりの中に傘が落ちる。


「……る、」
「いらない」
「……え?」


今日、初めて聴けた彼の声は掠れていたがただそこには強い拒絶があった。


「いらない。……濡れても、いいんだ」


濡れてしまいたいんだ、雨に。


そう言っているように聞こえた。


「…どういうつもり。君、雨好きだったっけ?」


傘を拾いながら、スザクは聞いた。

少し濡れたが、再び拾った傘をさす。


昔、雨は嫌いだと、嫌な思い出しかないから…と言っていたことを思いながら尋ねる。


嫌いだと答えてくれると思っていた。

だからこそ、スザクはルルーシュの答えに様々な感情の渦巻く衝撃を受けた。


「好きだよ。雨は……流してくれる気がするから」
「ッ!?」


そう言った彼の表情は微かに笑っている。喪失感に満ちた微笑。

虚ろな瞳は相変わらず、スザクへは向けられず、濁った黒い空を見上げている。


「流す…って何を?」
「……全てさ。嫌な事も、辛い事も……忘れたい事をすべて流してくれる。
そんな気がするんだ。だから……雨は、好きだ」
「……嫌な事? へぇ、例えばなに?」


嫌な事、忘れたい。


その言葉でスザクの中で何かが切れた。


機密情報局の報告ではルルーシュの記憶は戻っていない。

だが、そんなのはルルーシュのギアスでどうとでも操作できる。
今動いているゼロは間違いなくこの男だ。

その確信がスザクの中にはあった。


機密情報局も彼の偽りの弟も体よく利用されているだけだ、すべてが終わればきっと壊される。
正直言って、ルルーシュに操られて居るであろう彼らの情報はカケラも信じてはいない。


だから、シャーリーの自殺に関してルルーシュが白だということはスザクの中では否定されている。


この男は、どうとでも状況を左右できる捏造できる、
それだけの力量と能力を持っている。


恐ろしい策士だ。

ずっと戦ってきたんだ、それくらいはわかる。


そう思っているスザクだからこそ、ルルーシュの言葉が、態度が赦せなかった。


忘れたい?


殺したくせに。

殺したくせに殺したくせに殺したくせに!!


シャーリーもユフィもみんな君を想っていてくれたのにそれに気付いていたくせに、
それなのに殺した君が、何を忘れたいって?

嫌な事、辛い事?

みんなはもっと辛かった、大好きな君に愛していた君に裏切られ奪われことがどれだけ
辛かったか。

君の不幸なんてたかが知れてる、それなのに!!


逃げるのか、君は。

自分の罪から、また逃げて逃げて、自分の身だけを守って、
己の欲望のために!!


「……大切な、人のこと」


ぽつりと呟くような声は、雨に紛れて聞こえにくかった。


「…へえ、それは誰」

「もう、いないよ。俺の傍に、本当に大切なものなんてひとつもない、ひとりもいない。
……いつもそうなんだよ、一番に大切だったものは気付いたら……いなくなって……」


空を見上げていた顔を俯かせるルルーシュの表情は、濡れた髪が邪魔してよく見えなかった。


だが、ルルーシュの表情や心情なんて考える余裕もなく、スザクは傘を投げ捨てて
ルルーシュの胸ぐらを掴んでいた。

そして憤る感情をそのままに、ただその感情にまかせて吐き出した。


「甘えるなッ! お前は罪人なんだ、大切な人? ふざけるな、お前は失う直前まで
気づけなかったくせに奪われたとでも想っているのかッ!? 違うだろ、彼女らを壊したのは…
殺したのは他でもない、君だ! ユフィだって、シャーリーだって!
誰より君を愛していたのに、君のためを…君たちのことを想っていたのに、君は……
自分勝手な理由で、殺したくせに! 償いもせずのうのうと……忘れるなんて、赦さない
俺が赦さない。お前は辛い事も悲しい事も全部忘れちゃいけないんだ、償わなければならないんだ!
俺から奪ったことも、優しい人たちを裏切り続けてきたこと……を……」


そこまで一気にまくし立てて、スザクは目を見開いた。


微笑ってる。


とても悲しくとてもキレイに。

彼の白い頬を濡らすのは雨なのか、それとも全く別の……。


「………っ……」


何故か急に、先ほどまで烈火の如く燃え上がっていた怒りが静まり、妙な後悔だけが残った。
理由は分からない。


ただ、なぜか自分が異様に醜悪で利己主義な人間に思えた。

そして同時にそう思わせたのがルルーシュだとも思った。
だからか、それが妙に悔しくて、気付いたら彼を殴っていた。


虚ろな目は相変わらず。
悲しげな微笑も、頬を伝う雫も。


それすらも鬱陶しく思えた。

痛々しい音が響く。
アスファルトを叩く雨の音がさらに強くなる。


「この……この……っ」


なぜ、なぜ俺が後悔している。

俺は正しい事を…僕は正しい事をして居るんだ。
ルールに則って、罪人を裁いて、それで……それで、中から世界を変えていく、
そのためなら何だってする、それは正しいはずなんだ。

この男とは違う、すべてを壊すだけの、この決定的に間違った男とは違うはずなんだ!


それなのに!


なぜ、この男が正しく思える、キレイに見える!


「……スザクも、雨は好きだろう?」
「…え……」


ルルーシュの声に思わず力が抜けて、するりと彼を解放する。

彼はまた、すとんと濡れたベンチに座って空を見た。
……きれいに微笑う。


先ほどまで理由もなく理不尽な暴行を加えたスザクを咎める事もなく、
ただ問いかける。


「この音……。なんとなく、きれいな感じがして、妙にすっきりするんだ…。
そういうの、お前にもないか?」
「…ある、けど」
「……きっと、俺たちの中にある悪いものを知らず知らずのうちに流してくれて居るんだよ。
…だから俺は狂わずにいられるんだ、きっと、お前も」
「そう、かな」
「そうだよ。……お前だって、そうさ。さっき思い切り外に出したから、それで少しは
すっきりしたろう? きっと、雨のせいなんだ。…雨が、お前の中に溜まっていたものを
外に出してくれたんだよ」
「……君は、何を流してもらったの?」
「罪を、少しだけ。気づけなかったことと、気づいていたのに何もできなかったこと。
奪うだけ奪って何も与えられなかったこと。壊すだけ壊して……逃げだそうとしてたこと」
「……」
「俺はもう、立ち止まらないよ。……だから、お前も」
「?」


ルルーシュはすっと立ち上がるとスザクが投げ捨てた傘を拾って手渡した。


「何があっても、立ち止まるな。その道を阻むものが何であったとしても、お前はお前の
信じる道を、違わぬように進め。それで未来が切り開けるのなら」

「……君も…ね」


ずぶ濡れになって手渡される傘を受け取りながらスザクも答えた。
信じられない程穏やかに笑いながら。


「…………ありがとう」


ぽつり、とルルーシュが呟いた言葉は今度こそ雨にかき消えて聞こえなかった。


ふと、見上げれば空は雨雲がどけ始めて、青い空が微かに覗いていた。


「ルルーシュ。一緒に帰ろうか」

「いや、いいよ。別々に帰ろう、お前も戻る場所があるだろう」
「……そう、かい?」


――さようならだスザク。

今日で、もう終わりにしよう。これが最後、俺たちが友として会うのは。
もう俺たちは他人《敵》同士なのだから、別々の道を帰るのは当然だろう?

お前は俺を裁く。お前は俺を邪魔する。お前は俺を否定する、お前は俺を疑う。
だからこそ。

今日、この日、あの雨ですべてを流し――……

サヨナラだ。

(今日違えた道をお前は信じて進め、道が交わるときが来たなら、その時は。)



――また会いに行くよ、ルルーシュ。

今日で今までの僕らは終わったかも知れない。
これが僕らが友として会う最後かも知れない。

けれど、それなら僕らは新たな関係を築けばいい。

君は僕が守るよ。誰よりも傍で、君は僕を認めてくれてる、君は僕を知ってくれる、
君は僕を生かしてくれる。だからこそ。

何があっても君を守りたいと願うよ。今、僕は気付いたから。

今日、この日、あの雨ですべてを流し――……

また逢おう、新しい出会いを信じて。

(気づいたんだ、ようやく僕は。俺の戻るべき場所は、君の隣だと。)



[end]





[2008.07.18 著]
[2015.09.29 加筆修正]

擦れ違い。

大切なものに気が付いて、取戻してやり直そうとしたら
相手は自分のことなんて完全に切り捨てていたよっていう話。
作中のモノローグが特定の時期のスザクに見事にブーメランで笑いました。
狙ってたのかもしれないですね。