世間は夏休み。

中学生高校生は久々の長期休暇を暑かろうと蒸していようとお構いなしに短い青春を駆け抜けるこの季節。

まだまだ若く青いはずの大学生である枢木スザクは、浮き立つ世間とは裏腹に
サマーバケーションをエンジョイして素直に青い春を謳歌することができないのだった。


「お兄様!」 「兄さん!」

ああ、今年も来たか。

強大な破壊力を以てして留まろうとする、夏の嵐。



彼の花に惑わされるのは




その可憐な見目に反して、乱暴にドアを開けて飛び込んできたのは二人の少年少女だった。

二人ともよく似たアッシュブラウンのやわらかい髪を持ち、
そっくりな淡い菫色の瞳をしていて、一見天使もかくやの愛くるしさだ。

その内実さえ知らずにいれば、庇護欲を掻きたてられ誰でも陥落するだろう。

にっこり笑って小首を傾げて甘えられれば、拒める人間などこの世にはいない。
そう思えるくらいに可愛い。

それこそ、天使のようだ。


しかし、それは見た目だけの話だ。

その実態は、スザクにとっては悪魔以外の何物でもない。

スザクの同居人であり、長年の片想いの相手であるルルーシュにとっては
目に入れても痛くないくらい愛しくて可愛くて仕方がない天使二人である。

だからこそスザクにとっては悪魔でしかない。


「ナナリー、ロロ! そうか、もう夏休みだったな」


学生らしいシンプルな紺色のプリーツスカートの丈は優等生よろしく膝丈だ。

秋冬はしっかり上まで留められてリボンが揺れる首元は、
ブラウスの第一ボタンだけを開けて真面目さを損なわない程度に緩められており、
純白のブラウスの上には学校指定の濃紺のベスト。
黒いハイソックスの上に履いていた革靴を、ドアを開けると同時に乱暴に脱ぎ捨て、
少女は鞄をも放り出してルルーシュの胸に飛び込んだ。

少女の後ろから少し遅れて、少年も一緒にルルーシュの胸に飛び込む。
先に飛び込んだ少女とルルーシュを奪い合うように、なかなかの勢いで飛び込んだ。

あの勢いを折れてしまいそうな細い身体でしっかり受け止めたのは深すぎる愛のなせる業か。

スザクとルルーシュにとっては懐かしい制服だった。

女子制服と同様に第一ボタンだけを開けた半袖のブラウスに、下は紺のスラックス。

二人が脱ぎ捨てた靴を片付け、放り投げられた鞄を回収し、
二人が飛び込んできたドアを閉めるのはいつもスザクの役目だ。


はぁ、と小さく溜息を吐きながら靴をそろえる。

ドアを閉め、鞄を回収して当たり障りない場所に移動しながらちらりと横目に
ルルーシュの方を見る。

可憐な美少女が小動物と戯れているかのようにも見えるほのぼの空間がそこにはある。

何だあれは、花とか飛んでいるように見える。

この猛暑でさえなければ少しは和んだかもしれない。少しは。


「はい、明日から夏休みなんです。だから……」

「? どうしたんだい、ナナリー」

「勉強を教えてもらいに来てもいいですか?
お兄様と同じ大学に行くんだったらもう少し頑張らないと厳しいって、扇先生が……
お兄様、教えてくれますか?」


ひし、と抱き留められて腕の中で上目使い。

残念ながら後姿しか見えないが、相変わらずあざとい。
可愛いってわかっていてやっているからたちが悪い。


「もちろん。そういえばお前たちの担任は扇先生だったな」

「うん、そうなんだ。それでね、兄さん、僕も……」

「ロロも、勉強を見てほしいのか?」

「お願いしてもいい?」


ナナリーのおねだりに、綺麗な微笑で頷いたルルーシュにロロも続く。


彼らの担任である扇先生は高校時代のスザクとルルーシュの担任だった人だ。
普段なら懐かしむ名前を聞いても、過去に想いをはせる余裕は今のスザクにはない。

こてん、と小首を傾げて、甘えるように腕の中からルルーシュを見上げるロロ。
先制攻撃を仕掛けたナナリーのおねだりに加えて、これはルルーシュに最大限の効果を発揮する。

横で見ているしかないスザクにとっては悔しい以外の何物でもない。

回していた腕を離して、両手で二人の頭をポンポンと撫でながら微笑みかけて、
「お茶淹れてくるから、ちょっと離れてくれ」と言い置いて、
ルルーシュは台所に向かった。

それを笑顔で見送った二人は、ルルーシュが視界から消えた瞬間、
凍てついた笑顔で顔も合わせずに、


「ところでロロさん、貴方いつまでお兄様のこと兄さんなんて呼んでいるつもりですか?」

「僕にとっては兄同然の存在なんだ、ずっとだよ? 
ナナリーこそ、いつまで兄さんにおんぶ抱っこしているつもり?」

「ふふ、図々しい方。お兄様の妹は私だけ、私だけなんですよ」

「二人とも喧嘩しないでくれるかな、ここで。怖いよ」

「「スザクさんは黙っていてください」」


最愛の兄がいないと思った途端にこれである。

こんな黒くて冷たい天使、いてたまるか。


はぁ、と再度溜息を零す。

ルルーシュと戯れている時の二人は見た目に相応しく天使と呼べる愛くるしさで微笑ましいが、
その間も穏やかな心持でいられないスザクにとっては小悪魔か悪魔か程度の違いしかない。


台所に行っているだけとはいえ、出来る限り三人だけにはしないで欲しい。

そんなことを思っていると、台所の方からスザクを呼ぶ声がした。

気づくや否や、忠犬のような俊敏さで振り返り「なぁにルルーシュ!」と駆けつけた。
我ながらベタ惚れである。


「来なくても良かったのに。ちょっとそこまで買い物に行って来るから、二人のこと頼みたいんだ」

「え? 俺があの二人と? 留守番?」


呆れた様子で頼まれたのは、できれば遠慮願いたいお願い事だった。


頼みたい、と言いながらスザクが了承する前にルルーシュはさっさと外に出る支度を始めている。
手製のエコバックを持って、財布を持って、流れるように支度をするルルーシュの後ろを犬のようについて回る。

できれば撤回してほしい。


「麦茶切らしてたみたいでな。今ある分を出したら終わりなんだ、
ペットボトルのお茶とちょっとしたお菓子でも買って来ようと思って」

「お、俺が行くよ? ルルーシュは、ほら、二人と」

「お前に任せて余計なもの買われたら面倒だからいい」

「……ぅぐ」


自身の保身のために申し出たお手伝いはすげなく却下された。

くぅん、と見えない耳を垂らして落ち込んでいると、
身支度を済ませたルルーシュがナナリーとロロの方に向き直って
「じゃ、二人ともいい子にして待ってるんだぞ」と微笑みかけた。

「はい!」と語尾にハートでもついていそうな可愛い返事が聞こえた気がするが、
それは幻想だとスザクは本日三度目の溜息を吐いた。


夏は嫌いだ。

蒸すし、暑いし、ルルーシュと二人きりになれる時間が減る。







「……全く。スザクさんったら、相変わらず調子に乗っているようですね。
私が同居を認めたからって、犬みたいに纏わりついて」


デレデレし過ぎです、と吐き捨てる美貌の少女は本当に悪魔だ。

心底不快そうに細められたクリームラベンダーの瞳は兄によく似ていて、
どんな表情を浮かべても様になるのだから末恐ろしい。


「まあ、デレデレはしてしまうかもしれないけれど。
それより、まさかと思うけど夏休みずっと来るつもり? まさかとは思うけど」


大事なことなので二回言った。

勉強を教えてください、とルルーシュにとっても嬉しいだろう申し出をした時点で
ずっと思っていた疑問だ。


現在高校二年生の二人は、どちらも部活などはしていなかったはずで、
そうなれば夏休みは毎日フリーになる。

友達と遊ぶ、とか、親戚関係の用事が、とか色々あるかもしれないが、
前者ならば兄を取るのが二人であるし、親戚関係の用事ならルルーシュも関係している。


二人がその気になれば毎日お兄様漬けになれるのだ。


「もちろんです」

「できたら毎日来るつもりですよ。兄さんと二人きりになんてさせない」

「……二人そろって……」


はぁ、と嘆息する。

今日だけでどれだけの幸せを逃したのだろう。


「お父様も心配していますし。毎日毎日お兄様のことばかり、あんなだから再婚できないんです」

「へぇ、シャルルさんが」

「まあ、お兄様が聞いたら心底嫌がりそうですけどね。ざまあ」

「……」


こんな顔、絶対ルルーシュの前では見せないんだろうな。


毒の強いこの顔は、なまじ顔立ちが愛らしいだけに破壊力が凄まじい。
何度見ても慣れない。


早く帰ってこないかなーどこまで買い物行ったのかなー、と現実逃避を始めかけた頭を、
ナナリーが酷く冷たい声で呼び戻した。


「ところで、スザクさん、恋人とかいないんですか」

「ルルーシュ以外見えないのでいません」

「さっさと作ってくださいよ。紹介しましょうか、いい人がいますよ。
従姉妹のユーフェミア姉さま、ちょっと生活力に欠いていてぽややんとしていますけどいい人ですよ」

「遠慮しとく。なんでそんなことを君が?」

「お兄様の周りをうろつかれたくないからです、お兄様はあげない」

「同居を許してくれたのに随分な言い草だよね」

「それはそれ、これはこれです」


理不尽ここに極めり、である。


高校を卒業する直前、同じ大学に進むならと同居を申し出た時も、実は一番の懸念事項はこの妹だった。

ルルーシュもシスコンが過ぎるが、それでもまだ健全なレベルだとナナリーと話していると思う。

この見た目は可憐な少女、最愛の兄を誰とも共有する気がない。


母親に良く似た容姿のルルーシュは不仲の父親から一方的に溺愛されていた。

愛情表現が恐ろしく不器用な父の愛は残念ながら三分の一も伝わっていないが、
傍で見ていた妹は気づいていた。

今だからわかることだが、スザクとの同居を許したのは父親から兄を守りたかったからなのだろう。
それ以上でもそれ以下でもない。
スザクとの関係を深めることを彼女は微塵も望んでいなかった。


外面の良さはルルーシュ以上で、内に秘めた闇も兄とは比べものにならない大きさの妹に加えて、従弟のロロである。

複雑な家庭環境で育ち、愛情に飢えたロロに優しさを教え愛情を教えたのは
ほかならぬルルーシュだった。

それ故か、ロロはルルーシュに依存に近いレベルで懐いている。
実妹のナナリーに張り合って付きまとうレベルで懐いている。


とにかくお兄様至上主義の二人に、スザクは好かれていない。

今のところルルーシュの最も身近にいるのがスザクだから当然である。

羨ましくて妬ましくて仕方がないと、全身で伝えてくる。

この二人の相手をするのは本当に疲れる。精神的な疲労が酷い。


大学へ進むのに成績が足りない、と言っているが口げんかにおいては
兄に引けを取らないくらいに頭の回転が早い彼女らに、
基本的には筋肉馬鹿のスザクは太刀打ちできない。


ルルーシュと同じ法学部に在籍する紅月カレンも、
共通の課題を抱えているのをいいことに突撃してくるのが目に見えている。
何せ毎年のことである。

ルルーシュのことを好いているカレンともしょっちゅう喧嘩にはなるが、
基本的には物理的に殴り合ったりどつき合ったりの実力行使だ。

彼女は言葉より先に手や足が出てくるタイプである。

これならばまだ避けられるし、紳士的な程度にやり返すこともやぶさかではない。


ただ、言葉による攻撃はいけない。
苦手分野だ。

最愛の兄の前では何匹の猫を被っているのかわからないほど
健気で可愛くいい子ちゃんな二人は、ルルーシュからものすごーく愛されている。

そんな二人に何か言い返したりやり返したりすれば、
「お兄様!スザクさんが、スザクさんが酷いことを!」の一言で地獄行き決定である。

えげつない報復はないかもしれない、
しかしルルーシュに嫌われる・ルルーシュと結ばれる可能性が消えるというだけで
世知辛い現世は生き地獄に早変わりする。


そんなことにならないように。

まずはナナリーやロロにこれ以上嫌われたり、いじめられないのがベストだ。


だから思う。


(ああ、早く帰ってきてくれないかな……)


夏休みは、まだまだ始まったばかりだ。



[end]






[2008.08.11 初出]
[2015.02.14 再筆 10.03 加筆・修正]

『ナツノハナ』設定のロロ&ナナ→ルル。

現パロ設定なのでロロは親戚の子です。
従弟のコーネリアお姉さまの旦那様はギルフォードさん。
ユフィは多分、優雅な女子大生。

このナナリーは視覚も足も健常です。
それを失うような悲劇に見舞われていないので。
その分、原作と違う意味でタフでたくましい。